そんなある日、曾祖父は商店街のくじ引きでPS3を当ててきた。
それを俺にくれて、俺は当時学校ではやってたCoDを購入してきてプレイ。
始めた当初こそ複雑な顔をし、説教たれていたのだが、次第に興味がでたのか「俺にもやらせろ」とコントローラーを奪うようになった。
ただやはり死にまくり「現実ならなぁ」と毎回言い訳をし、俺にコントローラーを返す日々だった。
そんな俺もすぐに飽きてしまい(と言うよりFPSが合わず)PS3を放置していた。
それから数ヶ月後、曾祖父がある日俺を呼びに来た。
そして自信満々の顔で「みろ」と、自分の成績を見せてくる…
なんと『キルレ2.3』
友人にいた奴が2.5で相当強かったのを覚えているだけに腰を抜かした。
俺がPS3をやらなくなったのをよしと思い、曾祖父は密かにCoDを続けていたそうだ。
そして、何度か煽られて送られてきたメールを読み、闘志を燃やし。
終いには俺と同じ歳ぐらいの奴や、外国人とフレンドにもなっていた。
主に、その三人からFPSを教わったそうです。
祖父の得意技は壁抜き。曰く「どーこに隠れているか分かる」
また勘が鋭く、裏取りもうまかったり、逃げるのがウマイ人だった。本能的に刻み込まれているのだろうか
本当になんでも吸収してパソコンやゲームだって覚えちゃう人だったが、
まさかFPSで俺と同じ歳や外国人と一緒にゲームするほどの人だと思わなかった。
最後、祖父の訃報をフレンドさんたちに教えると、
外国人は「まじで!?俺のお爺と同じ歳だったのかよ~!YAMATOSoul GJ」と
日本の方は一人が葬式に参加、もう一人はスカイプでお悔やみの言葉を贈ると同時に煽ったことを謝ってた。
葬式に参加した人は「ニートかと思ったのですが……」と苦笑い。
日頃は大日本帝国トークで盛り上がっていたとも聞いた。
亡くなる一週間前、俺や孫に「仲間にCoDの話をしたら、誰も死なない戦争はいいな言われた。……馬鹿が。死なない戦争でも、死なないのが一番強いだ」と言ってた。
戦争での大切な言葉と、CODでの初歩的な大切なことを教えられたのだなーっと今だから思う。
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ご悔やみ申し上げます。